森田耕一郎さんの思い出

森田耕一郎さんの訃報にショックを受けた。森田さんは国立天文台チリ観測所教授として、ALMAのソフトウェアやデータ解析システム開発のためサンティアゴに赴任していた。報道によると、自宅アパートの近くで倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認されたという。事件か事故か、現時点ではよく分からないが、不慮の死を遂げたことは現実なのだろう。大変残念なことで感情的に混乱しているが、気持ちの整理は後回しにして森田さんの思い出を書いておく。適宜追記するかもしれません。

森田さんに出会ったのは22年前、私が大学院生として野辺山宇宙電波観測所で研究を始めた時期でした。森田さんは野辺山ミリ波干渉計グループのスタッフで、干渉計の原理にとても詳しく、とりわけ像合成の分野で第一人者でした。私はVLBIグループに所属しながら、干渉計の原理を学ぶために干渉計グループのゼミに参加させてもらいました。干渉計の原理は難解とされていますが、森田さんは一方的に教えるわけでなく、右も左もわからない大学院生相手でも議論によって考えさせ理解に導くのが上手で、私にはとても学びやすかったです。Thompson, Moran, Swensonの干渉計の教科書を輪読するゼミが楽しかったのは、発表する学生に対して森田さんをはじめ干渉計の専門家から深い議論に導かれたからです。当時のレジュメは今でも時々参照しています。

森田さんは研究面では、像合成の新しい手法を開発していました。従来のCLEANアルゴリズムの利点と欠点を熟知し、広がった構造に対する弱点の補強や、visibilityだけでなくbispectrumを用いたMEM像合成など、干渉計の装置起因の誤差をうまく回避して信頼性の高い像を得る手法を考案していました。像の信頼性 (fidelity) を定量評価するという考えは、当時はあまり普及していませんでしたが、ALMA時代になって干渉計の専門家でない天文学者が普通に干渉計像で研究するようになると必須になります。森田さんはこの点で先進性がありました。ALMAには、ACA (Atacama Compact Array; 日本名で「いざよい」望遠鏡) というアンテナがぶつかりそうなほど密集した一群があります。これは、空間周波数の低いvisibility成分を漏らさず取得して、広がった構造でも高い信頼性で撮像するために必要なもので、森田さんを含む日本の発案によって実現しました。

森田さんに特にお世話になったのは「干渉計サマースクール」です。干渉計のユーザーを増やし、ユーザーの理解を深めて干渉計の成果を増やそうという活動です。私が野辺山の大学院生として参加したときには、森田さんが世話人として講義や司会進行や実習に尽力されました。講義で原理を学び、実習で実データを使って原理を確認するという、「頭と手」を活用するプログラムは良かったです。その後、自分がスタッフとなって干渉計サマースクール世話人を務めたときもこのスタイルを踏襲しました。森田さんにも講師として引き続き貢献して頂き、ありがたかったです。このときに作ったテキストは、今でもあちこちで使われているとようです。

ALMA計画が本格的に動き出すと、森田さんはproject scientistとして相当忙しくなったようです。私が2006年に鹿児島に移ってからは、お会いできるのはALMA関連の委員会や研究会くらいに減りました。森田さんは2010年からJAO(Joint ALMA Observatory) の一員としてチリに赴任され、ALMAという巨大望遠鏡の科学性能評価試験 (CSV : Commissioning and Science Verification) を率いるようになりました。ALMAの科学要求は大変に水準の高い厳しいもので、高精度の較正 (calibration) が要求されます。森田さんのスキルが欠かせないことは明白でした。忙しく重責を負う中でも、異文化の環境を楽しみ、ALMAという人類最高の望遠鏡で性能を出そうと挑戦している様子が、お会いしたときの立ち話から伺えました。最後にやりとりしたのは昨年9月に鹿児島大学で開催された日本天文学会秋季年会。私の講演を聴いて的確な質問をして下さったので、「ああ、ちゃんと私たちの研究を森田さんに理解してもらえたんだ」と嬉しく思ったことを覚えています。

森田さんと議論することがないと思うのは残念なことです。しかし森田さんのミームは数々の書き物や、私を含め干渉計で学んだ使徒の意識に生きています。これからは私の頭の中の「森田さん」と議論し、精進していきます。
ありがとう、森田さん。