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由無し事をたまに綴るブログです。

夫婦別姓について一案

夫婦別姓についての意識調査では賛否が分かれているという報道に触れて、考えてみました。夫婦の姓について私は、「旧姓と同一でなくてもよい、新しい夫婦共通の姓を選べる」方策がよいと考えます。ただしこの案は検討を始めて多くの支持を得るまでには時間がかかると思われますので、それまでつなぎとして「選択的夫婦別姓」を支持します。

名前とは何か

名前とはアイデンティティ、すなわち他者と違う自分を識別するための記号です。アイデンティティの要件はユニークであることと継続的であること。みんなが同じ名前だったら区別しづらくて面倒ですし、頻繁に改名されると同じ人であることを認識するのが難しいです。名前が機能を果たすには、改名がめったに起こらず同一の名前を使い続けられることと、なるべく同姓同名が起こらないよう多様であることが望ましいです。

名前の一部である姓(名字)には、血縁関係の属性を表すという機能もあります。内閣府による「家族の法制に関する世論調査」(2006年12月調査)によると、「家族の名字(姓)に対する意識としては「先祖から受け継がれてきた名称」という回答が45.1%と最大、「夫婦を中心にした家族の名称」が16.7%で次点となっており、この機能を重視する人が多いようです。

旧姓と同一の夫婦同姓の問題点

日本の現行法制では、夫婦どちらかの姓に統一する夫婦同姓にする必要があります。これは、男系社会の時代に先祖からの継承を念頭にした制度ですが、明らかに現代では合わない制度です。夫婦のどちらかが改姓を強いられるのですから、アイデンティティの機能を喪失します。現在の日本では男系社会をまだ引きずっているためか、夫の姓を選択し妻が改姓するケースが大多数です。改姓を余儀なくされる側は、。職場などで不利益を被ります。例えば研究者は論文などの業績を著者名で集計されますが、改姓すると集計されにくいし、旧姓を著者名として使い続けると職場に届けた新姓と整合しなくなります。

また、「先祖から受け継がれてきた名称」の機能も夫婦のどちらかが喪失します。夫婦ともに祖先からの姓を継承することができません。この機能を重視する人は若い世代ほど減少しているので問題ないかもしれませんが…。

もう一つの問題点は、姓の多様性が徐々に失われることです。新しい姓が発生することがない一方で、婚姻によって世の中から姓が消えることがありますから、姓の数は単調減少です。多様性が失われるということは、アイデンティティの機能を喪失することです。大学入試センター試験では名字の50音順で受験番号を振るので、同じ教室内に「佐藤さん」や「鈴木さん」が連続して並ぶという現象が起こります。

夫婦別姓の問題点

そこで選択的夫婦別姓という案が検討されています。夫婦別姓なら夫婦のどちらもアイデンティティを失わないという選択ができますし、先祖からの継承もできます。姓の数が単調減少であるものの、かなりゆっくりになるので、多様性はある程度維持できます。
民主党は4年前に選択的夫婦別姓政権公約に掲げて4年前に政権を執ったのですが、何も進展がなく失望しました。自民党政権になったことで後退するかもしれませんが、この施策はぜひ進めて頂きたいです。

選択的夫婦別姓に対する反論の中で考慮に値する問題点は、「子供の姓をどうするか」ということです。父または母のどちらかとは別姓になることに、子は悩みを持つかもしれません。どちらかの姓を選ぶという、これまでは婚姻時に大人が判断していた難しい問題を、子供に投げてしまっている、とも言えます。

新しい姓を創るという提案

そこで、私の提案は「婚姻および生誕を機に、共通の新しい姓を創設できる」というものです。鈴木太郎さんと佐藤花子さんが婚姻し、子の名前を一郎, 恵子とする場合を例を挙げると、

  1. 佐木 太郎・佐木 花子 (子)佐木 一郎, 佐木 恵子, …
  2. 鈴木 太郎・佐藤 花子 (子)佐木 一郎, 佐木 恵子, …
  3. 鈴木 太郎・鈴木 花子 (子)鈴木 一郎, 鈴木 恵子, …
  4. 佐藤 太郎・佐藤 花子 (子)佐藤 一郎, 佐藤 恵子, …

という選択ができるというものです。1.と2.の姓は「佐木」でなくても構いません。

新しい姓が創れるので、姓の多様性が増しコリジョンが発生しづらくなります。また、「家族の名称」の機能も持ちます。夫婦共に先祖からの継承を重視する人は、例えば「鈴木佐藤 太郎 / 鈴木佐藤 花子」とするとか。

夫婦別姓を選択肢に含めるかどうかは悩ましいところです。子を生まない夫婦のために2.の選択肢は必要と考えますが、子と両親の姓が異なります。個人のアイデンティティの維持・祖先からの継承・子供と両親の姓の一致の3つを全て満たすことはできないので、妥協の産物とも言えるでしょう。姓が多様化し、婚姻と共に新しい姓に改名することが当たり前の世の中になれば、個人のアイデンティティの維持は姓でなくID番号のようなものに遷っていくのでしょう。